逢魔時の部屋にて

昨日までの日々の回想
少しずつ遡るように綴ります

昨日、20時に副都心線新宿三丁目駅のホームで父母に「合格をいただきました」と、電話を入れた。ASOBISYSTEMという芸能事務所のオーディションに受かった。事務所の方から合格のお電話を頂いたとき、本当にとても嬉しかったよ。倍率も合格率も知らなかったけれど、好きな女優さんやモデルさんと同じ事務所に入れるなんて。と、小学生の頃、一度は夢を見ていた芸能界という世界に近づけたことに少し舞い上がりすぎていて、自分の未来を慎重に考えて行動すべきだったのにできていなかった。事務所に入る入会金が20万円。それから、レッスン代が月に3万円。バイトもしていなくて無収入の学生にしたら、大変な額であるが、そこまで非現実的だとも思わなかった。でもそれは、売れれば。の、話か。とも、思う。ただ、払い続けて元を取るどころか、大量の金を注ぎ込んだだけ。と、なる未来もある。それより、父と母がいちばんに心配してくれたのはやはりあたしの病状のことだった。身体が丈夫であったら、やりたいことはやらせてあげたいけれど、お金のことを考えて心に余裕がなくなり、また狂って壊れるあたしの姿が目に見えているから賛成はできないと言われた。結局昨日は、所属はお断りさせていただく。という形で終わった。

もともとは、体調を見ながらバイトが少しでもできたらいいな。と、考えていた。3ヶ月やってみた内職は、割りが悪すぎて辞めてしまった。シフト通りに入れるかが不安だったので、家でできる在宅バイトや日雇いのバイトを探した。7月から、写真に写ることを始めたこともあって、エキストラやモデルのアルバイトに興味をもった。時間も体力的に大丈夫そうだと思い、何社か応募してみたが、怪しい団体かどうかを見分けるのは難しく、結局、合格をいただいても断ってしまうことが多かった。名の知れた大手のオーディションがInstagramで流れてきて、軽い気持ちで応募してみたのがきっかけである。


昨日、駅のホームで父母と電話越しに話をしていたときに、こんなことばかりしているな。と、思った。自傷をして精神科へ駆け込んだと連絡をしたとき、ルームシェアするために引っ越したいと連絡をしたとき、今度は救急車を呼んでしまったと連絡をしたとき.......etc。自分で自分の人生をぶち壊したいのかな?と、しか思えなかった。救いようがない自分に呆れ、こんなに天気のいい日曜日の夕方、部屋に引きこもりながらこの文章を書いている。

昨日は帰って何もする気が起きず(落ち込んでいたわけではない)、お風呂にも入らずそのまま眠ってしまった。最近、ベッドから起き上がることができない日が続き、今日も朝ごはんを食べ損ねた。そんな堕落した日々を重ねていってなにがあるのか、光を追いかけて写真を撮りたいどころか、光なんてそこにはなかった。あたし、どうやって生きていくんだろう。他人事のように思っていた。予定を組むのが最近疲れる。カレンダーを見て、本当に来るのか来ないのかわからない明日を、1秒先の未来を、来ると信じて疑わないフリをするのが死にたくなるほどに、しんどい。情報量が多いと処理することができない。大切なボールペンを無くしてから、2週間ほど日記をつけてない。日にちと曜日感覚がズレていく。それもまた、気持ちが悪い。


小学生の頃、絶対にドラマや映画で活躍するような女優さんを夢見ていた。テレビに出ずに人生を終えるなんて考えられないとまで思っていた。今思えば、なんて恥ずかしいことを考えていたんだろうと思うけれど、単に発想が年相応のそれなりの子供だっただけ、か。でも、考え方が少し大人になり、それにはかなりの賭けが必要、狭き門だとわかった。それから、もっと幸せのハードルを下げて、ささやかな生活の中で少しでも光を、どんなに小さくても大切に過ごそうと思えるようになった。例えばひとつ、世の中たくさんの人に評価されるのではなくて、あたしのことを気に入ってくれる他人がひとりでもいる事実。というのは、隣に好きな人がいる生活。なんかを。それも手に入らなかった。4年間の片想いは、最終的に片想いでしかなく、気づけばあちらから終止符を打たれていた。恋愛とは、いい関係を築くことができないまま19年間が過ぎた。世の中、こんなに人がいる中でたったひとりでも無条件に愛してくれる好きな人がいない。そんな幸せすらも、努力しても手に入れることができないあたしは、貪欲になっていたのだと思う。承認欲求の塊でしかない。多くの人に見て欲しかったのだと思う。評価されたかった。褒められたかった。好かれたかった。どんどん欲張りになって、あまり考えずにいろんなことに手を出しては、父母に迷惑をかけたり、失敗をしてかすり傷を増やしたり、日々、そんなことばかりしている。それももう疲れたね。学校すらも行けない日があるのに、お金を稼ぐことなんて考えなくていいと言われた。そんなに切り詰めて生活しなくてもいいんじゃないかと言われた。そうなのかもしれないけれど、自分でできることを増やしてもっと自信が欲しかったし、生活費が医療費に消えていく日々が辛かったし、将来働けるかわからない自分の体調を考えたら、貯蓄せずにはいられなかった。迷惑をかけたくなかった。

自分の欲を満たしながら、他人の気持ちまで汲み取ることは、あたしには到底できるわけがなかった。自分の生活すらままならないのに。

最近は涙が出なくなった。7月まで毎日のように泣いていた自分が嘘のように。最近は眠れない日がなくなった。逆に四六時中眠たい。不眠症だった自分が信じられない。なぜだかわからない。そんな自分に戸惑ってしまっている。無意識な「変化」がこわい。世界でたったひとり、信じなくてはいけない自分ですら信じられない。

いろんなものを拾おうとしても、今、握りしめていた両手を開いてみても何も入っていない。ただ、息をしているだけで消費。消費しか生まれない。生産するものが消費。それでも生活は続く。

続くしかないのだから、暮らしが手に入らないままでも、生きていくしかない。